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「どこに行くの?」
「んー ・ ・ ・、別に考えてないけど」 着替えを済ませ、朝食も済ませたソフィーが食器を洗いながら背後で椅子に腰掛けて読書をしているハウルへと軽い調子で尋ねる。 実はこうして後片付けする際もハウルが”やる”といって聞かなかったのだが、さすがのソフィーもこうして身体をしっかりと動かしていないとどうしても落ち着かないようで、彼女もまたやるといって譲らなかった。 ソフィーの場合、休みすぎると返って具合が悪くなるらしい。 何かに携わっていないと、安心して城で暮らせないのだろう。 それもまた、律儀な彼女らしい。 思いのほか調子も良さそうだと判断し、今回ハウルは大人しく引き下がった。 ソフィーの部屋から勝手に小説を持ち出し、椅子に楽な姿勢で腰掛け、流すように目を通している。別に見られて困るような内容ではないし、よく舞台にもなっている有名な傑作小説ゆえ、ソフィーはそれを黙認したのだ。 第一、本を読むことはいいことだ。 「何か買いたいものとか、行きたい場所とかあるの?」 「いや? ・ ・ ・ソフィーは?」 その問いにソフィーはしばし視線を上へと向け考え―――再び、食器洗いを再開する。朝食用の食器なのですぐに洗い終えてしまいそうだ。 「別に私の用事ってわけじゃないんだけど ・ ・ ・」 「うん。なに?」 「夕食になるような食材がね、全然無いのよ」 「あー ・ ・ ・、そうだね」 ソフィーの言葉に、ハウルは”そういえば ・ ・ ・”といったような口調で納得した。 城を修築して以来、これといった買出しに出かけたことがなかった。 そろそろ色々と要るものが増えてくるだろう。 家族は増えたし、魔法で今までどうにかしていたものの ・ ・・いつまでもそれに頼り続けているわけにもいかない。 ・ ・ ・が。 ソフィーは思わず苦笑した。 「 ・ ・ ・って、それじゃ全然デートって感じのお買い物じゃないわね」 いつもマルクルと行っているお買い物と変わらないわ ・ ・ ・とくすくす笑うソフィーに、ハウルはあっけらかんと言った。 「いいんじゃない?買出しついでに何処か店に入って甘いものでも食べてさ」 「 ・ ・ ・甘いもの ・ ・ ・いいわね、食べたいわ」 「ね。それじゃ決まり」 ぱたん、と本を片手で閉じ、ハウルはそっとソフィーに近寄る。 それに気付いたソフィーは彼の方へと視線をやり、蒼の双眸を見つめる。 「もうすぐ終わるから待っててね」 「ゆっくりでいいよ。 ・ ・ ・大丈夫?」 「大丈夫よ。最近では一番体調がいいみたい。心もしっかり元気だし、 ・ ・ ・もうちょっとで元通りね」 ・ ・ ・と、再び視線を元へと戻す。 不自然無く笑えた。 ・ ・ ・そんな自分自身をソフィーは不思議に思う。 ――きっとこれが昨日だったら、また下手に鼓動が暴れて大変なことになってしまっていたであろうに。 やはり人間、心がけひとつでこうまで成長できるものなのだろうか。 今はこの緊張と鼓動の高鳴りを、”心地よい” ・ ・・とすら思える。 彼の傍が、心地よい。 「この本、借りててもいい?」 「いいわよ。気に入った?」 「んー、今はなんとも。読み終わってみないとね」 「それもそうね」 本の中身は、所謂心理学を含めた恋愛と戦いの物語。 神話と現実が織り成された ・ ・ ・この世界においては少々珍しい部類に入る話だ。 ソフィーは読書を好む。 故に片端から読破していくので、賛否関係なく彼女の部屋は本で溢れている。 けれどそこはソフィーらしく、しっかりと整理整頓されている。 物語の分野に置いて考えれば、小さな図書室といっても過言ではないだろう。 子供向けの伝記や絵本もあるため、マルクルもよく勝手に入ってきては持っていく。荒地の魔女もよくやってきては持っていく。 最近ではハウルもその中の一員となっている。 そして、返ってきたかと思えば、また違う本が消えている。 ・ ・ ・そのたびソフィーは、くすくすと笑うのだ。 勝手に持っていくわりに、しっかりとルールは守られているのだから。 「でも、雰囲気は好きだな。今のところまでは」 「ちょっと理屈っぽいけどね」 「確かに。 ・ ・ ・ああ、そうだね、言われてみれば」 と、ハウルは笑う。 それにつられてソフィーも思わず小さく笑うが、その時にはすでに洗い物は終わる段階に入っていた。水道の蛇口が閉められ、ソフィーはエプロンで濡れた手を拭う。 このあたりの仕草は、もはや少女でありながられっきとした主婦だ。 ・ ・ ・もっとも彼女の場合、学生の頃から立派な主婦だったのだが。 手間のかかる妹と母を持ち、しっかりと世話をしていたのだから。 そう考えてみれば、今のこの城の、何と住み心地のよいことか。 「読み終わったら、感想聞かせてね」 「いいの?僕ってわりと容赦ないよ?」 「いいわよ。だって私が書いたわけじゃないもの」 そしてまた、ソフィーは笑った。 今度は彼がつられて笑う。 ・ ・ ・心地よい。 彼の傍が、とても。 ――――離れられないくらいに。 そうなってしまえば、もうソフィーは周りも気にならなかった。 時刻は、午前10時頃。 ちょうど開店時刻で、街には人が集まりだしている。 若い女性同士、そして恋人達も多い。 空襲の脅威も去り始め、表向きには平和な日々が訪れようとしている。 双方の国とも、もはや空襲をし続けるほどの予算も兵器も無いのだろう。 それに異なる国々 ・ ・ ・つまりは国際的な視線が冷たくなってきているのだ。 戦争が完全に終わるのも、時間の問題だろう。 後はこのまま国が暴走せず、穏やかな形に治まってくれればよいのだが。 そんな、賑わう街の中。 いつかのように、ソフィーはハウルに手を取られ、大通りを歩いていた。 いつかのように、全ての視線は美貌の青年へと向けられている。 そしてまたいつかのように、ひそひそと内緒話がそよ風を伝って聞こえてくる。 これもまたいつかのように、彼への賛辞とこちらへの手痛い批判だった。 それも、化粧くらいしろだとか、服装が地味だとか、髪の色が変だとか、ぶつかったら骨がささるほど貧相だとか ・ ・ ・普通に聞いていれば名誉棄損もいいところの野次ばかり。まるでただのいじめのようだ。 しかし、驚くなかれ。 ソフィーは全く気にしていない。 ・ ・・否、気にならない。 そう、最初からこんな風に冷静に考えておけばよかったのだ。 周囲が彼をどんな目でみようと、周囲が自分をどう見て、何を批判していようと、ふたりの関係は欠片も変わることなどないのだ。 彼らに自分たちの何が分かるというのだろう? そう。何も分かってはいないのだ。 そんな彼らから放たれる言葉など、薄っぺらく安いことばかり。 彼が平気なら、何も問題はない。 ・ ・ ・ふと、ハウルが周囲に気付かれないような仕草で、歩む足を止めぬまま、ソフィーの耳元へと唇をそっと寄せ、小さく囁いてきた。 それは、思いもよらぬ言葉だった。 「気分悪いね。平気かい?」 いつもは街で淡々としている彼が、こうして自分との距離内の世界においてでは家と同じ調子で接してくる。 その落ち着いた低い声の中には、怒気がかなりの分量で含まれているのだ。 不思議な境界線に、ソフィーはそれだけで救われるような心地になった。 ・ ・ ・まあもっとも、気になどしていないし、落ち込んでもいないのだけれど。 以前の自分であれば思いっきり気にして、思いっきり落ち込んでいただろうけれども、ソフィーとていつまでもうじうじとはしていられないのだ。 ・ ・ ・時間が勿体無いではないか。 ようやくそんな単純なことに気がついたのだ。 ソフィーは、そっと笑って見せた。 「お化粧をしていないのは本当のことだけど ・ ・ ・、ね、やっぱり変かしら?」 「 ・ ・ ・何が?」 「お化粧。 ・ ・ ・しないと、変?」 とりあえず、彼の意見も聞いておく。 した方がいいと言われたらその通りにするし、こちらも落ち込んだりはしない。 この世界では幼いうちから化粧をたしなむ女性が多い。 ・ ・ ・とくに裕福な市民が多いこの近辺ではそれが当たり前のようになっているのだ。 一種の流行のようなものだろう。 レティーや義母もその内に入る。 ・ ・ ・昔は決して裕福ではなかったけれど。 ソフィーはそれどころではなく、店の切り盛りやら、家事やらと、とにかく様々な仕事に追われ続けていたため――自分のために何かするという行為そのものが無いに等しい状況だった。 それが出来るようになったのは、ハウルと暮らし始めてからである。 ・ ・ ・つまりは、彼と路地裏で出逢った ・ ・ ・まさにあの時から。 それを思えば、本当に彼には感謝してもしたりない。 けれども。 その返答は間も無く返ってきた。 一切考えもせず為された答え ・ ・ ・つまりは即答というやつだ。 「ソフィーは綺麗だよ」 地球の双眸は、晴天。 眩しい日差しを僅かな雲で細めるように、彼はそっと微笑んで言ってみせた。 ・ ・ ・彼からの想いが、否応なく伝わってくる。 ・ ・ ・さすがのソフィーもこれにはドキリとした。 けれど、嫌な緊張感ではない。 ・ ・ ・心地よい、苦しみ。 ・ ・ ・矛盾しているけれど ・ ・ ・彼の傍が心地良いのは変わらない。 それに飲み込まれてしまわないように、ソフィーは素直に言ってみせた。 ・ ・ ・素直が、一番。 素直であれば、何も怖いことなどない。 きっと彼は、答えてくれる。 信じていれば、何も不安などない。 「なら、あなたの言葉を信じるわ」 綺麗、と言われて。 決して、それを肯定などはできないけれど ・ ・ ・でも。 否定せず、彼の言葉を真っ直ぐと受け止めることができたのは。 ・ ・ ・きっと、これが、初めてのこと。 けれど、言ったはいいが、急に無性に照れくさくなってしまって ・ ・ ・ソフィーはそっと顔を背けた。―――真っ赤な顔を直視されるときっと大変なことになってしまうと自覚した上での行為なのだ。 ・ ・ ・が。 ハウルは、そう簡単には逃してくれない。 彼女の顔を無理やりそちらへと向けようとはしなかったけれど ・ ・ ・ 言葉は結局、彼女が何処を向いていようとそのまま真っ直ぐ突き刺さるものだ。 ソフィーは、それを忘れていた。 耳元で、吐息と共に囁かれた言葉。 「 ・ ・ ・いい子だ」 ・ ・ ・きっと大変なことになってしまうという予測は、ぴたりと当たった。 ・ ・ ・ほら。 素直になれば。 彼のことだけを、素直に、真っ直ぐに見つめていれば。 何も、怖いことなどない。 何も、不安になることなんて一つもない。 彼を、信じていれば。 気にならない。 気にしない。 周りのことも、自分の積み重ねてきた苦しみや訴えも。 もし溢れそうになったなら、夜に、彼に縋ればいい。 そうすればきっと彼は受け止めてくれる。 抱きしめてくれる。 それだけで、 ・ ・ ・救われる。 |
20050909
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