ぎざみみハーゼ



6



出てきては駄目よ。


決して。


駄目よ、坊や。


絶対に。


お願いだから。


そこから、出てこないで――――。















・ ・ ・声が、聞こえたような気がした。






その声の主を知りたくて。

その言葉の意味を知りたくて。

視線の先にある、僅かな光 ・ ・ ・果て無き迷宮の先に見止めた出口の先にある解放を求めて。





ここは狭い。
ここは暗い。
ここは ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・怖い。





その先へ出たい。

その声を裏切ることになるけれど。




もう、これ以上は。





息が、できな―――――― ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



















ふいに。


右手を、強く握られた。


















「ソフィー?」
「 ・ ・ ・」







・ ・ ・低く、暖かな若い男の声。




突然訪れた現実感に、ソフィーはハッと目を見開いた。

・ ・ ・その視線の先にあるものは、紛れも無く見慣れた美しい地球の双眸。
昨夜からそのままなのか、染めたままの艶やかな金の髪。
外出する際、いつも愛用している白いシャツと、薄紅と灰のキングスベリーの国旗を思わせる肩にかけるだけの上着。



どこからどう見ても、否、確認するまでもなく彼は自分の夫だ。



・ ・ ・さらに。



「 ・ ・ ・ハウル ・ ・ ・?」
「 ・ ・ ・おはよう、ソフィー。 ・ ・ ・大丈夫かい?」
「 ・ ・ ・どうして ・ ・ ・?」
「 ・ ・ ・いや」



視界ははっきりとしているにも関わらず、まだ思考だけはおぼつかないようで。
ソフィーは、今が一体どういう時期で、自分が一体どういう状況にあるのかは理解することができずにいた。
故に、ハウルにその理由を求めたのだが ・ ・ ・。


彼は、ソフィーの手を握ったまま、淡々と答えてくれた。



「変わった寝相だなぁ ・ ・ ・と思って」
「 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・え」





・ ・ ・改めて、ソフィーはようやく ・ ・ ・ハウルに握られたままになっている自身の右手を凝視した。 ・ ・ ・そういえば ・ ・ ・どうしてこんな高く掲げられているのだろう。

ソフィーはベッドに仰向けに真っ直ぐと寝たまま、右手を天に差し伸べるようにまっすぐと掲げた状態で ・ ・ ・そのあげっぱなしの手のひらをハウルに握られている状態にあったのだ。

常識的に考えても、かなり不自然な格好だ。
まるで昇天する寸前の聖人のようではないか。


これではハウルが思わず手を差し伸べてしまう理由も言わずとも知れる。
・ ・ ・一体どうしてこんな状態になってしまっているのだろう。


そう、考えていると。



握られた右手を引かれ、背中を支えられ ・ ・ ・ソフィーはそっと半身を起こされた。
反動でそのままベッドに腰掛けているハウルに身体を預ける。

・ ・ ・鼓動が、聞こえてくる。
次第に目覚める瞬間に感じた妙な違和感と嫌悪感がゆっくりと消えていくのが手に取るように分かった。
命の音は、時としてなによりも心を奮い立たせてくれる。

特に、彼の音は。



「 ・ ・ ・泣いていたよ。 ・ ・ ・怖い夢でも見たのかい?」
「 ・ ・ ・」



ゆっくりと、星色の髪を撫でながら―――ハウルは耳元で静かに問うてくる。
それに安堵感を感じながらも、ソフィーは懸命に先ほどまで自身が見ていた夢を脳内で再現しようと試みるが―― ・ ・ ・その記憶の断片は余りにもおぼろげで明確な形としては成ってくれない。


・ ・ ・怖い、夢。


・ ・ ・確かにそうだったのかもしれない。
ハウルがこうして手を握って起こしてくれなければ ・ ・ ・あの夢の先で自分は一体どうなってしまっていたのだろう ・ ・ ・とすら思うのだから。



・ ・ ・夢のことなんて ・ ・ ・全く覚えていないのに。



「 ・ ・ ・怖い夢 ・ ・ ・だったのかも、しれないわ。 ・ ・ ・覚えてないけれど ・ ・ ・」
「 ・ ・ ・まあね。夢の内容なんて、覚えていられるようなものじゃないさ」
「 ・ ・ ・」
「深く考えない方がいい。 ・ ・ ・下手に勘ぐると、嫌なことが本当になる」



・ ・ ・確かに、ハウルの言う通りかもしれない。

本当に起きてもいない、それも実体の無い恐怖に囚われれば ・ ・ ・少なくともそれだけで充分”嫌な事”となるのだから。


ソフィーはしばらく思案した後、俯き加減にこくりと頷いた。

それを確認し、ハウルは微かに微笑むとゆっくりと立ち上がり ・ ・ ・見上げるソフィーの顔を優しく見つめ ・ ・無邪気な瞳で言った。



「具合は?」
「えっ? ・ ・ ・あ ・ ・ ・」


あの一件以来何度と無く聞いた質問ではあるが ・ ・ ・今のこの問いには、いつもとは違う色を含まれていることを察し ・ ・ ・昨夜のハウルとの語らいを思い出す。

が、どうにかそれをやり過ごし。

もう一度 ・ ・ ・俯き加減にこくりと頷く。
なるべく朱に染まった頬を悟られぬように。


「 ・ ・ ・良かった」
「 ・ ・ ・」


昨夜の雰囲気ではあっさりとしていられたものだが ・ ・ ・
やはり朝になってしまうとやけにそれが気恥ずかしいことのように感じられる。
まともにハウルの顔を見ることもできず、ソフィーは顔を背ける。

それに少しだけ ・ ・ ・彼が笑ったような気配を感じた。

気になって ・ ・ ・そっと、視線を上げると。


ハウルは、穏やかな笑顔のままこちらを見ている。
・ ・ ・いつもよりも落ち着いた、それでも意志の強さを秘めた蒼穹の双眸で。

思わず引き込まれそうになり、逸らすこともできず見とれるが ・ ・ ・


それは瞬時に放たれる突拍子もないことで、彼女の顔は驚きに染まることになる。


「ね。出かけよう」
「 ・ ・ ・はっ?」


この、言葉。
突然前触れも無く放たれたものだから、ソフィーはなかなか思いつくことができなかったのだが――――結婚前に一度、彼に同じ言葉を、今と半ば似たような状況で送られたことがある。


「デートしよう」


朝目が覚めて、右も左も判別ができていない、そう、丁度 ・ ・ ・今と全く同じ状態だったソフィーに彼は――――まるで子供のように顔をこちらへと寄せて、無邪気に笑って元気な声で言ってきたのだ。


あの時は ・ ・ ・ソフィーはその当時気付いてはいなかったが、とにかく彼女は大変な呪いを幾重にも掛けられ、義母のことで苦しみ、悩み―――身体も精神もぼろぼろだった。 ・ ・ ・もしかしたら彼はそんな彼女を少しでも元気づけようと ・ ・ ・、もしくは少しでも気分転換でもさせようと、青空の下へと連れ出してくれたのかもしれない。


それなのにあの時の自分は、己のことで精一杯で ・ ・ ・とにかく苦しくて ・ ・ ・すぐ隣にそっと寄り添い続けてくれていたハウルに心を配ることができなかった。
挙句の果てには自分のことを卑下し続けるばかりで ・ ・ ・何度も彼を悩ませ、困らせ ・ ・ ・泣かせてしまった、傷つけてしまった。



今、彼はそっとソフィーの手を取って ・ ・ ・穏やかに微笑みかけてくれている。


こんな、彼の重荷になってばかりの自分に―――― ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・





・ ・ ・ああ。





ソフィーは、気付く。


ようやく、気が付いた。








――――私、ちっとも変わってないわ。





・ ・ ・そう、ようやく気が付いたのだ。





自分を卑下すること。
自分を嫌悪すること。

ずっと、そんなことばかり考えていた。




母親が他界した後、次いで新しい母親が現れたとき。



彼女は、ソフィーに言ったのだ。



”あなたは長女なのだから、しっかり働いて、レティーの夢を叶えてあげて」



そう言われたとき。


本心から、ソフィーは嬉しかった。
レティーのことが大好きだったからだ。 ・ ・ ・もちろん、今とて大好きだ。
かけがえの無い、大事な妹だ。

ソフィーはまだ将来を決めるほどの夢を持ち合わせる年齢には達していなかった為か、その義母の願いを素直に受け入れたのだ。
義母はレティーを心底可愛がっていたし、その願いを託されたということは少なからず頼りにされているのだと ・ ・ ・子供ながらに胸を張った。

父の店を継ぐと、その時に決めたのだ。
そうすれば、父も義母も ・ ・ ・死んでしまった母も、きっと喜んでくれる。


・ ・ ・そう、思っていた。




・ ・ ・けれど。


それは年齢を経て、大人になっていくにつれ―――だんだんと形を変えていった。
知りたくも無い現実を、知るようにもなってしまったからだ。


人間は、いつまでも無垢なままではいられない。
自我の目覚めと共に、今まで持ち得なかった欲というものも有するようになる。


ソフィーとて、人並みに沢山のことを望み、夢みる少女だ。
それは今も変わらない。


・ ・ ・変わらない、からこそ。


知らないふりをしていたかった。
キラキラと光り輝く同年代の少女達と自分とを比べれば、空しくなってしまうのは分かっていたから。 ・ ・ ・そんな心を無理やり封じ込めるには、ソフィーはまだ幼すぎた。


だから、化粧もわざとしなかった。
・ ・ ・実際、化粧なんてしたことはない。
それに服も極力地味を装った。
・ ・ ・期待してもそれが叶わないのなら、最初から諦めてしまった方が楽だと。


そんな、自分が嫌いで。
そんな、自分が悲しくて。


自分を責めることで、蔑むことで―――逃げていたのだ。




一番の弱虫は、自分だった。







そんな、影にあった自分を ・ ・ ・突然光輝く太陽の真下へと連れ攫ったのは ・ ・ ・





悪名高い、魔法使いハウルだった。













その、魔法使いは――じっと、こちらの返事を待っている。
以前誘ってくれた時とは明らかに違う ・ ・ ・美しい、”本当の”大人の笑みを静かに浮かべたままで。



彼は、変わった。


根本的な価値観と、優しさと、秘められた悲しみと弱さはそのままだけれど。


その、意志の強い瞳と、強固な精神と ・ ・ ・その、眼差しは。
明らかに―――彼が真実、大人の男なのだと、ソフィーへと如実に語ってくる。



・ ・ ・自分も、そうなれるだろうか。



新しい気持ちがソフィーの中で生まれる。



今からでも、間に合うだろうか。
レティーのように、とまでは言わないけれど ・ ・ ・
今よりも、素敵で魅力的な女性になれるだろうか。



彼が、あの時自分に言ってくれた ・ ・ ・「きれいだよ」という言葉。



その言葉を支えに――――頑張れる、だろうか。
自分のことを ・ ・ ・もっと、好きになってあげられるだろうか。





生まれた、この気持ち。
新しい願い。新しい夢。新しい希望。





どうして突然、こんなことを想うのかは彼女にも分からないけれど。






ソフィーはそっと微笑んで見せた。
・ ・ ・彼が余りにも綺麗な笑顔を浮かべるものだから、どきどきしてしまい、そのせいで多少ぎこちない笑みになってしまったけれど。




最初の一歩は、この言葉から。




あの時と同じ、この言葉から。






「 ・ ・ ・今から?」






戸惑いでも、躊躇いでもない。
確信と意思を込めて為された彼女の返答に ・ ・ ・ハウルは、笑みを深めた。

誰をも魅了しかねない、恐ろしいほどに美しい笑みだ。




「そう。 ・ ・ ・今すぐ」





けれど、ソフィーは本当に分かっているのだろうか。



彼の、その類稀なる美貌は―――――外の、誰のものでもない。



彼女のために、在るのだと。


20050808

     



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