ぎざみみハーゼ



3



ハウルに支えられながら一階へと移動し、食卓を2人で囲み、いつもと何ら変わらぬ昼の時を過ごし――― ・ ・ ・改めてソフィーはハウルの異変を垣間見た。

言動も、仕草も、それは一件普通の彼そのものであるようにも見える。
・ ・ ・否、見えたで”あろう”。上辺のみの彼だけを知る人ならば。

だがソフィーは、厚い壁に隠された彼のほんの少しの揺らめきすらも見抜いてしまうのだ。 ・ ・ ・それは何時ごろからだったのか ・ ・ ・ほとんど、無意識なのだろうか。





スープのぬくもりと柔らかさを喉に感じながら、ソフィーはそっと瞳を伏せた。


――美味しい。


ふと思ったことを、自然とそのまま言葉へと変じる。
ほとんど無意識だった。


「美味しい ・ ・ ・」
「本当?よかった」


口に入れた際は気付かなかったが、味わって飲み込んで、初めてソフィーはそれが以前自分がマルクルのために考案した”じゃがいものスープ”であることを知った。


やはり作る人間が違うとこうも変わるものなのだろうか。


・ ・ ・なんというか、ハウルらしい味だ。
彼は適当にやっている、とでも言うのだろうが ・ ・ ・実に、繊細な味なのだ。

ソフィーは彼の作る料理の、こういった優しさが好きなのだ。


・ ・ ・何だか悔しいので彼自身には言ったことがないのだが。


「 ・ ・ ・私、さっきまでは本当に何も食べたくなくって ・ ・ ・さっきもね、食事の支度をしながらその匂いで気分が悪くなっちゃって ・ ・ ・」
「 ・ ・ ・平気かい?」
「そう、平気なの。不思議ね ・ ・ ・こんなにお腹が空いていただなんて ・ ・ ・」


この通り、完食しつつあるのだ。
彼はソフィーの体調を考慮してか、敢えて味を薄めに、具は少なめに押さえてくれていた。そしてそれ以前に ・ ・ ・このように弱ったときに、こうして自分以外の誰かが ・ ・ ・それも、愛する誰かが暖かな食事を与えてくれることはこの上の無い幸福だ。
その歓びも、彼女の身体を内側から癒してくれているのかもしれない。


「無理しないで、残してもいいよ?」
「いやよ、お腹空いてるの。取らないでちょうだい」


そんな彼女の様子を、彼は自分に気を使っているとでも思ったのかそのような発言をし、ソフィーは頬を膨らませ、まるで子供のような抗議をした。
それに彼はこらえ切れないように笑いをかみ殺している。


ええ、どうぞ笑ってちょうだい。その間に勝手におかわりするから。


心の中で言いながら、ハウルをそっと見つめる。




・ ・ ・澄んだ地球色がこちらを優しく見ていた。



ソフィーは慌てて視線を逸らす。
反射的に、瞳が彼を避けたのだ。
ドキリと胸が高鳴り、背筋が僅かに緊張する。

極力不自然にならないように、景色を見つめるふりをした。

・ ・ ・いつもよりも、窓から射す光が眩しく思える。



けれどもそのうち居た堪れなくなり、会話をしようと唇を開いたとき ・ ・ ・彼の麗らかな声に先を越されてしまった。
どちらにせよ浮かんでいた話題は他愛もないことであったし、今は彼からの話題に準じようと気丈にも地球色の双眸をじっとみつめる。

・ ・ ・けれど。


「 ・ ・ ・調子は? ・ ・ ・昨夜に比べてどう?」


結局、彼の口から零れ落ちる言葉は彼女を案じるものばかり。
その瞳は酷く澄んでいて、軽い嘘などすぐに見抜いてしまうほどの視力を持つ。

彼に嘘は吐かない―――できればそれを貫きたい。
ソフィーは素直に今の自分自身を考え、答えることに専念した。


「身体も軽く感じるし、だるさもだんだん無くなってきているわ。でもまだ、ちょっとした倦怠感みたいなものが身体の奥でくすぶってる感じ ・ ・ ・、かしら」


上手い言葉が見つからず苦心するが ・ ・ ・彼の瞳が静かに伏せられて ・ ・ ・それが伝わったことを知る。
その揺らめきは分かる。


――― ・ ・ ・憂いているのだ。


「そう・・・。辛いね ・ ・ ・」
「そう、なのかしら ・ ・ ・?でも平気よ。あなたが昨夜かかりっきりで魔法をかけ続けてくれていたから ・ ・ ・」
「僕の魔力を分けただけさ。とくに精神の傷は強力な術はかけられないんだ。 ・ ・ ・君の心は繊細だからね。だから、精神治癒魔法をかけるには夜が一番適しているんだ。常に近くにいられるし ・ ・ ・何より一つのベッドの中に一緒だ」


・ ・ ・曰く。


精神治癒魔法というものは、今回ソフィーのためだけにハウルが編み出した新術だ。


何度もその身に呪いをかけられ、ありもしない魔力を根こそぎ奪われ、”黒き結界”という名の牢獄へ入れられ、ソフィーの心はこれ以上はないというほどに無数の傷を負ってしまった。

そのため、その影響は精神のみならず身体にまで及ぼされている。

これらを全体的に治癒するには、まずその傷の”核”を根本的に癒さなければならない。ここで表す”精神”というものは所謂心そのものではなく、生き物であれば誰とて無意識のうちに所持している魔力 ・ ・ ・その在りか ・ ・ ・所謂魔力の核を示している。

ハウルほどの強力な魔法使いであれば、その傍に寄り添うだけでもいくらか魔力の影響が及ぼされる。 ・ ・ ・つまり、奪われてしまったソフィーの魔力のかわりに、ハウルの魔力を注ぎ込み補うことができるのだ。

・ ・ ・ことのつまり、”輸血”みたいなものなのだろう。


言ってしまえば、ハウルとくっつけばくっつくほどにソフィーの体調は改善される。
元々2人は新婚の身であるし、そういった行為へと及ぶのも自然のことだ。
このまま普通に生活していけば、ソフィーの体調が完全に健康へと立ち戻るのもすぐだろう。たった一夜でこれだけ改善されるのだから。


・ ・ ・まあ、新婚とはいえ ・ ・ ・


することとは言っても、一般の傾向に比べれば ・ ・ ・驚くほどに初心なのだけれども。
誰がこの魔法使いの容貌を見て、それを想像できるだろう。
事実、このハウルという青年は実に繊細で、実に青く、実に純粋だ。
そんな世界など知らずに、ただただ一途にたった一人の女性に焦がれ続けていた少年なのだ。傍から見ればそれはもう、痛々しいほどに。


・ ・ ・故に。


結果的には、ソフィーが彼をあらゆる意味で”守って”やらねばならない。
その一途に焦がれ続け”られた”立場としては、彼の知らないこと、彼が知っていなければならないことを教えてあげなければならないのだ。

・ ・ ・というよりも ・ ・ ・他に誰が彼へとそれを享受してくれるというのであろう。


・ ・ ・自分しかいないではないか。


ソフィーはそう思いつつも、夫となったこの男に、思春期の男子が学ぶようなそれを教えることには少なからず躊躇いを感じていた。


・ ・ ・無理もない。
・ ・ ・だって、無理ではないか。


彼と夜、夜でなくとも2人きりで一つの部屋にいるときは ・ ・ ・
真面目な話、毎日が授業だ。


ハウルにとっても。
・ ・ ・無論、ソフィーにとっても。


そう。例えば――――――




今。









―――― ・ ・ ・ドクン。











ふたたび、高鳴る鼓動。
体外へと漏れてしまうのではないかと不安になるほどの。


普段はまるで彼の母親であるかのように、多少のことに対しては冷静でいられるソフィーも、こういった恋愛感情や彼が異性であることを今更ながらに思い知らされる瞬間が突如として心を駆り立てはじめると―― ・ ・ ・嘘のように何も知らない少女へと様変わりしてしまうのだ。


心も、身体も、表情も、その全てが。


こうなってしまうと、冷静にハウルへと”教える”ことなど到底無理なのだ。
それも教えなければならないときは大抵ソフィーはこうなってしまう。


今の現状を抜け出すためには――この場を抜け出すしかない。




・ ・ ・彼から。



逃げる、しか。









この状態は、いつも突然やってくる。


その理由は ・ ・ ・分かっているつもりではあるが。








砂糖は、甘すぎると苦味すら感じることがある。

幸福は、続きすぎると次第に痛みとなっていく。

喜びは悲しみへ。

快感は苦痛へ。







人間は、なんて我侭な生き物なのだろう。












・ ・ ・その時。



力の無い、繊細な指先が袖を掴む。
柔らかなカーテンをつまむ程度の弱々しさ。
席を立ちかけていた彼女の、いつもの蒼いドレスの袖の先を。


まるで、ソフィーがこの場を逃れようとしていたことを知っていたかのような。
ゆっくりで、静かな ・ ・ ・流れる時間そのもののような。


彼の、声。



「 ・ ・ ・何が怖いの?」
「――――― ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・」



それは、きっと縋るような眼差しで。




・ ・ ・まなざし?




見ても居ないのに、何故分かるの。



「震えてる」
「 ・ ・ ・っ ・ ・ ・」



触れているのは、指先だけ。
人差し指と親指の、その繊細な二本の指先だけ。


それなのに、何故こんなに不安なの。



「昨夜もそんな顔をしてた」



どうして彼の顔が見れないの。



「辛い?」



何故?



「眠りたい?」



・ ・ ・分からない。



「 ・ ・ ・ベッドに戻ろうか」



彼のことが、分からない。



「ソフィー」



瞳を、見れない。






怖くて、見れない。











どうして――――――― ・ ・ ・ ・ ・ ・


















日向ぼっこをした時の、陽のひかり。
それを受け止めたシーツのあたたかさ。


それと同じぬくもりが、唇へと触れた。















スプーンが小さく音を立てて木のテーブルへとその身を落とす。
手の力が失われていくのを、静かに自覚した。
細長い視界の中で、彼の手のひらが見えた。
それで彼が、テーブル越しにこちらへと乗り出しているということも分かった。










そこまでして、キスをしたかったの?



・ ・ ・待てな、かったの ・ ・ ・?











・ ・ ・苦しい。

でも、嬉しい。

・ ・ ・怖い。

でも、しあわせ。

・ ・ ・酷い。

でも、大好き。










真昼の、深い口付けの後。









ソフィーは、やっと彼を見た。


唇がゆっくりと離れていく中で、自然と視界も開けていく。







ハウルは、微笑っていた。


優しい優しい、繊細な笑顔。






・ ・ ・優しいけど。


・ ・ ・綺麗だけれど。






見たことも無いような、素敵な笑顔。










・ ・ ・知らない。



こんな、笑顔。



分からない。



彼が考えていることが分からない。










わたしの知ってる、ハウルじゃない。





























そして、いつの間にか浴室にいた。




どうしてかは分からない。
気がついたらここに居たのだ。


そして、鏡の向こうの自分自身を見ていた。
ざあっと水が流れ続ける音がする。
きっと自分が蛇口を捻ったのだ。
かなり動転していたのだろう。
いつもは勿体無いって怒るのに。







・ ・ ・どうしよう。



守るって、決めたのに。



その、守るべき彼から、いつの間にか逃げてしまっていた。







自分がされたら、きっと嘆くだろう。
拒絶されたと、嫌われたと、悲しみに打ちひしがれるだろう。

それだけのことを、ソフィーはハウルにしてしまったのだ。









だって、ハウルが。


・ ・ ・あんな ・ ・ ・、あんなキスを突然したから。









放心状態のまま、鏡の中の自分を見つめて。




ソフィーは、気がついた。





今鏡に映っている自分の顔は ・ ・ ・見たことも無いような顔だったのだ。







白昼夢に突き落とされたような脱力感。
鼓動は荒く高鳴っているのに、思考も視界も薄い膜に覆われているような。







ハウルに、あのキスを教えたのは他ならぬ自分なのに。


昨夜は、それだけを何度も交わしたのに。







唇の内側に、まだ余韻を感じて。






・ ・ ・居た堪れない。
・ ・ ・恥ずかしい。


何も知らないのはハウルじゃない。
自分は何も知らずに分かったふりをしていただけではないか。
背伸びをして、姉のふりをして。
偉そうに、母親の真似をして。

そのくせ、恋人としては不完全で。

なにひとつ、ハウルにしてあげることができないのに。




・ ・ ・違う。




「女性」になっていく自分が怖いだけ。
「夫婦」となった自分たちがいつか必ず歩む過程を、今更深く自覚しただけ。



受け止めるって、言ったのに。

心も、身体も、賭して? ・ ・ ・できていないではないか。

願うばかりで、出来ないではないか。








純粋な彼。
ずるい私。


弱虫で、泣き虫で、自分勝手で馬鹿な私。






・ ・ ・どこかに隠れてしまいたい。

・ ・ ・どこかへ消えてしまいたい。

今更そんなことに気付くなんて。

ハウルに会うのが怖い。

彼に合わせる顔が無い。








そればかりを念じて。



ソフィーは、浴室にしばらくしゃがみ込んだまま動けなかった。


その細い肩は、ハウルの言う通り ・ ・ ・小さく震えている。
わずかに、息を殺して。






今の自分を、誰の目にも晒したくはなかった。

自分ではない何かに変わりたかった。












けれど――――――












太陽は、まだ頂点。






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