ぎざみみハーゼ



11



深夜の異国の都市を、ハウルは歩いていた。
黒きマントを身に纏い、気配を殺し、辺りを静かに見渡して。




野良犬が遠くで吼えている。


空襲で家を焼かれ、主をも焼かれ、行き場を失った犬だろう。
ハウルはその性分からか、鳴き声だけでそんな犬を識別することができる。
言葉無き叫びの中に、明らかなる悲しみを感じるのだ。

そんな犬達も現在のこの国における魔法使い同様、軍人に見つかればすぐさま撃ち殺される運命にある。

・ ・ ・犬だけではない。
猛獣と呼ばれる動物達は、飼育されているものも野生のものも問わずに銃殺されていると聞く。このあたりは狼の群れが訪れる丘もあり、そこで大規模な狩が行われたのだと、同じ中立の立場に属する初老の魔法使いから聞いたのだ。


―――そして。


国の不満を口にしたことを知られ憲兵に打ち据えられ力尽きた者たちや、飢えに苦しみ路上に倒れ伏したまま動かない者たち。
親を亡くして路頭に迷い、逃げるすべなく空襲にあった子供たち。
身寄りの無い老人たち。


国の象徴とも言うべき大通りには、そんな人々の亡骸が無数に横たわり、放置されたままとなっている。


死臭と、鉄の焼ける臭い。
それが今の都市の象徴だ。
キングスベリーですらここまで酷くはないはずだ。
・ ・ ・否、どちらも似たようなものか ・ ・ ・

・ ・ ・あの国は、どれだけの空襲を続けてきたのだろう。




その臭いはかつてハウル自身も纏っていたものだ。
ソフィーと新しい城で暮らし始め、戦場から遠のくことが多くなり随分と戦争という現状の”空気”を忘れかけていたハウルも ・ ・ ・ここに来て、全てを取り戻すこととなった。




こんな時分にこんな危険な場所に彼が居る理由は、決して私的な感情によるものではない。高みの見物をしているわけでもない。


これは立派な、連合から”与えられた”仕事だ。
今彼はキングスベリーの敵国である隣国の、中枢を荷う都市の大通りを偵察しているのだ。


現在魔法使いのための国際機関のみに留まらず、政治的に有力な国際機関が悲惨な戦況を見るに見かね、漸く重い腰を上げつつあるらしいのだ。
だが、名目上は”平和目的”の国際機関が、偵察目的で戦争に介入し、あまつさえ軍を投入することは難しく、結局は魔法使いに頼らざるを得ないらしい。


・ ・ ・結局、何処へいっても魔法使いは政治の駒に過ぎない ・ ・ ・という言葉は、仕事を与えられた際に実際の上司に当たる人物がこぼしていたものである。


確かにその通りかもしれないが、ハウルはそんな事など考えない。
ハウルとて自らのため、そして家族のために連合を利用しているに過ぎない。
無論、平和であれば何よりであるし、戦争が無ければそれが一番だと思っている。

けれど”世界平和”のためだけに戦うことなど、できはしない。
国の未来のために命を燃やそうとは、考えもしない。



もし、これ以上 ・ ・ ・双方の国が迷走を続けることになるのなら。




どちらとも捨てる道を、ハウルは迷わず選ぶだろう。




途中途中で道端に蹲る老人や子供たちに物乞いをされたが、ハウルは敢えてそれら全てを無視し、中心街を後にした。


今ここで施しや情けを与えれば、瞬時にして”我先に”と大騒ぎになることが目に見えているからである。皆、生きることに必死なのだから余計にだ。
一人が糧を得れば、それを奪おうと新たなる争いが生まれる。


そんな混乱は、避けるべきだろう。
中途半端な同情は相手のみならず、己すらも陥れる凶器とも成り得るのだから。




――― ・ ・ ・潮時だ。




空が白んでくるのをみとめ、ハウルは人の気配が完全に途絶えたことを察すると、黒き翼を広げ薄紫の空へと飛び立とうとしたが――。



つま先に小さな力が圧し掛かってきた。



―――しまった、遺体を蹴ってしまったか ・ ・ ・?



無礼なことをしてしまった、と視線を空から地上へと移したが。


彼の視界に写されたものは、悲しく暗きそれで無く ・ ・ ・小さく震える”物体”だった。
・ ・ ・否、生き物か。
丁度自らの羽根の影になってしまっているので確認できなかったのだが ・ ・ ・





刹那。




光が射して。





それの姿がはっきりと映し出される。












「 ・ ・ ・仔兎(ハーゼ) ・ ・ ・?」
















―――――瞬間。















全身の羽根が逆立つような感覚が高速で駆け巡り。


エメラルドのピアスが熱いほどに光を放ち。









指輪が、叫―――――――― ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・













「――――――― ・ ・ ・ ・ ・ ・っ!!」
















死の街に、突然太陽が現れ。






光は、黒を白へと染め。






轟音は、全ての者の聴覚を奪い。






熱は、無差別に全てを焼き払い。













有を、無に、帰す。

















羽根を掠めた風の匂いは、 ・ ・ ・死の匂いだった。
焼け爛れた羽根を懸命に働かせ、ハウルは我が家のある荒地へと飛ぶ。

鼻を突くこの臭いが、あの街のものなのか、自らの出血によるものなのか、それすらも今のハウルには分からなかった。

意識が朦朧とするが ・ ・ ・傷は深いものの、致命傷は幸い無いようだ。
それくらいは分かった。





あの”爆弾”が、”何”であるのかをハウルは知っていたから。


あれを目の当りにしたのは、これが初めてではないから。






あの、夏の日。


禁断の扉の向こう。


時を越えた過去。


黒い、腕。






ハウルは、苦しみながらも羽ばたき、指輪に唇を寄せ。



「 ・ ・ ・カルシファー、連合の、所長に、伝えて、くれ ・ ・ ・」
『 ・ ・ ・ハウル!?』
「 ・ ・ ・、え ・ ・ ・?」





しかし、指輪の先の存在は、あの火の悪魔ではなく。





「 ・ ・ ・ソフィー ・ ・ ・、 ・ ・ ・どうして ・ ・ ・」





と言いかけ、ハウルは”ああ ・ ・ ・”と脱力する。
そんなことすらも自らが原因なのだと、呆れたように微かに笑った。

カルシファーとの通信用は以前既に壊れており、今彼がはめている指輪はソフィーとの結婚指輪なのだ。ソフィーの指輪にはある程度彼女を守るための呪術が施されてはいるものの、ハウルの指輪には特別な能力は一切無い。
只の、指輪だ。

・ ・ ・故に、現在カルシファーとの通信はピアスの方で行うようにしていたというのに ・ ・ ・

出先で電話代わりにソフィーと会話できれば、と無意識に思っているうちに、いつのまにか自分の指輪にも魔法をかけてしまっていたのか。



・ ・ ・正直、今のハウルには欠片の余裕もない。
誤りを修正する意欲すらもない。



こんな状況ゆえに、気付かぬところでソフィーを求めていたのかもしれない。





「 ・ ・ ・ごめん、 ・ ・ ・起きてて、くれたんだね ・ ・ ・。 ・ ・ ・もう、帰る ・ ・ ・から ・ ・ ・」
『 ・ ・ ・』





ソフィーは、何も言わない。
言わないけれど ・ ・ ・指輪の向こうの彼女が、必死に涙を堪えていることが何故かハウルには手に取るように分かった。
以前彼女が呪いで言葉を失った際、ハウルはソフィーの心情を見抜き、正常な会話を難なく成立させたが ・ ・ ・あれも今思えば、無意識のうちにハウルが自らに掛けた魔法だったのかもしれない。


不安と、悲しみに打ちひしがれているであろう彼女にかける言葉もなく、ハウルはできるだけ安心させてあげられるような話題を懸命に探すのだが ・ ・ ・


やはり、意識が朦朧としているためか、いつものようにはいかない。
”大丈夫だから心配しないで”などという言葉には説得力を感じない。


結局、どうすれば―――― ・ ・ ・と、懸命に思案する。





・ ・ ・が。






『 ・ ・ ・もう一度 ・ ・ ・』
「 ・ ・ ・え?」
『 ・ ・ ・ごめんなさい ・ ・ ・最初の言葉、聞き取れなくて ・ ・ ・もう一回お願い ・ ・ ・』
「 ・ ・ ・ソフィー ・ ・ ・」





予想外の、気丈な言葉。



・ ・ ・否。
・ ・ ・気丈なものか。



彼女は、今懸命に冷静になろうとしているのだ。
ハウルでなくとも、その声が明らかに震えていることに気付くだろう。


ソフィーは夫の足手まといにならぬようにと、己の感情を消して、自ら本来カルシファーがするべき役割を果たそうとしている。




・ ・ ・彼女がそうするのなら、こちらも彼女の手を煩わせるわけにはいかない。





「ああ、 ・ ・ ・すまない。 ・ ・ ・連合の、所長に、 ・ ・ ・次の言葉を伝えてほしい」
『はい』
「 ・ ・ ・”自己犠牲呪文が、行使された” ・ ・ ・と」




















久々に今朝は、長湯になってしまいそうだ。
この匂いはそう簡単には落ちてはくれないのだから。




死の街を背き、ハウルは己の帰りを待っているであろうソフィーに想いを馳せる。




――― ・ ・ ・でなければ、堕ちてしまいそうだった。










いや。










ここで、堕ちるわけにはいかない。












・ ・ ・帰らな、ければ。













彼女の、元に。



20060509

     



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