一人暮しをして三年目の暮れ。
今まで盆暮れ正月、と特に何の感慨も無く過ごしてきたシンジが、正月料理を作ろうという気になったのには理由があった。
シンジの携帯が鳴ったのは昨日の9時頃だった。
着信音とマルチディスプレイは相手がカヲルだと告げている。
シンジは慌てて携帯に飛びつき、赤くなる顔と響く心臓の音を押さえながら通話ボタンを押した。
『も…もしもし?』
自分でも声が震えているなぁと思う。
『あ、シンジ君?僕だけど』
柔らかい声は電話越しでも変わらなかった。
『なぎ…カヲル先生、どうしたの?』
シンジがカヲルと付き合うようになって、まず最初に努力したのが呼び方だった。
今までずっと「渚先生」と呼んでいたのを、「どうせなら名前で呼んでほしいな」とカヲルがそれとなく(だがことあるごとに)プッシュして、やっと「カヲル先生」になったのである。
カヲルとしては「先生」はいらないんだけど、と思っているのだが几帳面なシンジに一気にそこまで要求するのは無理と諦めた。
現にシンジは学校では絶対に「渚先生」と呼ぶのを変えないし、それ以前にあまり近寄らない。
『うん、デートに誘おうと思って』
さらっと言われた言葉はシンジにとっては爆弾に等しかった。
付き合い始めて約3ヶ月。実はこうして誘われたのは初めてだったりする。
かくいうカヲルも、電話口でガラにもなく緊張していたりする。
いくら頑張っても教師と生徒、カヲルは生徒に人気があるという事も手伝って二人で一緒にいる時間はどうしても限られていた。
たまに誘い合って一緒に帰ろうにも、二人は嫌でも人目を引いた。
カヲルの容姿、シンジの態度。
二人のツーショットはどうしても「普通でない」雰囲気を醸し出してしまう。
『デ、デート?』
どもりながら聞き返すシンジに、カヲルも胸中の緊張を押し隠して応じる。
『そう。冬休みに入ってから僕達一度も会ってないだろう?
終業式も結局すれ違いっぱなしだったしね。
だから、せめて冬休みは会いたいなって思って。
シンジ君どこか行きたい所はある?』
『あ、えっと…僕、は』
正直いきなりそんな事を言われても、という感じである。
でも恐らくシンジなら、時間を与えられても場所の希望は出せなかっただろう。
だけど、その時奇跡とも呼べるタイミングの良さでシンジの頭に閃いた事があって。
『おせち料理』
ぽろっと出てしまった言葉に一瞬シンジは頭が真っ白になってしまった。
対するカヲルはシンジのそんな状況など知る由も無く。
『おせち料理?』
とオウム返しに聞いてきた。
慌てて説明するシンジ。
『えっと、カヲル先生今までおせち料理って食べた事無いって言ってたから…その、今年は
良かったら僕が作ろうかなって…それで、その材料の買い物、に』
言っている内に自分でも恥ずかしくなってきてしまった。
折角カヲルがデートに誘ってくれていると言うのに、口を出た言葉が買い出しとは。
どうしよう、どうしよう。沈黙が痛い。
『覚えてて、くれたんだ。ありがとう。それじゃ、今年はシンジ君が作ってくれるんだね?
あ、そういう物の買い出しだったら、ちょっと場所に心当たりがあるから。』
そう言って待ち合わせの時間を指定したものの、カヲルは場所については何も言わなかった。
それならどこで待ち合わせを?とシンジが尋ねてもカヲルは
『シンジ君のマンションの下で待っていてくれれば良いよ』
と言うだけ。
カヲルが一度もおせちを食べた事がないというのは、高校一年の時の授業で聞いたものだった。
さすがのカヲルのファンも、手のかかるおせち料理をプレゼントしようとは思わなかったらしい。
当時はシンジも遠くから憧れる程度で、勿論カヲルにおせちをプレゼントするなんて考えもしなかった。
そして当日。
シンジは着る服からして困り果て、唯一自信のあるコーディネートを引っ張り出していた。
それは随分前に幼馴染であるアスカが、何の気まぐれか一緒にショッピングをしてくれた際に見立ててくれたものだった。
気の強い帰国子女は半ば強制的にその服を買わせたのだが、センスは確かでシンジのともすれば内側に引きこもってしまいそうな魅力を充分に引き出していた。
そしてカヲルに言われた通りマンションの下で待っていた。
吹きすさぶ風は冷たかったが、緊張しまくりのシンジはそんな事すら気にならなかった。
時計の針が待ち合わせ時間の15分前を指した頃。
車のエンジン音が聞こえた。
あっという間に青いTAURUSがシンジの前に止まり、運転席から見慣れた銀髪が覗いた。
「カッカヲル先生…?」
驚くシンジにカヲルは極上の笑みで答えると、シンジの手を取って助手席を導いた。
そして自分は運転席に戻ると、車を発進させた。
「ごめんねシンジ君。寒空の下君を待たせてしまった」
運転中なのでシンジの瞳を見つめる事はかなわなかったが、カヲルの声は本当に申し訳なさそうだった。
「僕が勝手に早めに待ってただけですから…それよりカヲル先生、車持ってたんですね」
ひたすら驚くシンジに、カヲルは少し拗ねた表情を隠せない。
「シンジ君、二人で居るときは敬語はやめようって言ったよね?」
そう。何とか呼び名を変えたカヲルの次の目標は言葉だった。
どうしても自分は生徒であるという意識が抜けないシンジ。
なので会話の大半はどうしても敬語になってしまう。
一刻も早く「教師と生徒」からランクアップしたいカヲルはタメ語でも構わない(むしろそうしてほしい)のだが、これは中々手間取っている。
カヲルの言葉にシンジは慌てたものの、素直に直せずにいた。
「やっぱり僕は生徒…だし」
シンジの主張はそこに尽きる。
ただ、それに対してはカヲルも反撃手段があった。
「恋人なのに」
「こっ、恋人!?」
うろたえた返事に、カヲルは止めをさされた気分になる。
「違う?」
落ち込んだ声で尋ねると、シンジは途端にふるふると首を横に振った。
言葉が出ないので行動で示したらしい。
顔が赤いのがまた可愛らしい…のだがこのままなあなあにするわけにはゆかない。
「敬語を使われると僕達の間に壁ができたようで寂しいよ。
本当は学校でも敬語は使わないでほしいくらいなんだから。
大丈夫、シンジ君が思ってるほど最近の高校生は礼儀正しくないよ。
僕にタメ口を使っている生徒なんて沢山いるだろう?」
心当たりがあったのか、シンジがクスクスと笑った。
その微笑に力を得てカヲルは続ける。
「ね?少しづつでいいから変えてゆけば良いさ。
…あっと。着いたよシンジ君」
唐突に言われて慌てて辺りを見渡すシンジ。
おろおろしている内にカヲルが運転席から降り立ち、助手席のドアを開けた。
ふらふらと車から降りると、そこには「年末」の雰囲気が漂っていた。
日本を代表する魚河岸は、お飾りやお節の材料を買う人々でごった返していたから。
「すごい人…」
思わず呟かずにはいられなかった。
元よりあまり人の多い所に馴染みは無かったシンジにとって、この人ごみは足を止めるのに充分な衝撃を伴っていた。
「人が多いからね。はぐれないように気をつけないと」
何時の間にか持っていたらしい帽子をかぶりながらカヲルは言った。
普段学校での姿しか見たことのなかったシンジは、一瞬新鮮な感覚に囚われた。
そして次の瞬間、カヲルがわざわざ帽子をかぶる理由に気がついた。
そっか、カヲル先生の髪目立つもんね…。
カヲルの銀髪は十二分に目立つ要因となる。
これが違う人となら良かったのだろうが、今はあまり多くの人に見られて良い時じゃない。
集まる他人の好奇の視線をかいくぐるためにカヲルが考えたものだった。
「それじゃ、シンジ君何から買いたい?」
言いながらカヲルは一人で人の海へと入っていった。置いて行かれまいと急いでシンジも後を追う。
だがそこは魚河岸、歩く人の気性にもよるのかシンジはあっさりと人波に流されそうになる。
…………はぐれる………!
そう思った瞬間、しっかりと手を掴まれた。
「気をつけないとって言っただろう?」
シンジの手を掴んだ当人は楽しそうな色を目に浮かべてクスッと笑った。
そしてそのままシンジと平行に並んで、器用に人波をかきわけてゆく。
その様子は、とても楽しそうで。
「カヲル先生、もしかしてワザと…」
先に一人で行ってしまったのかと続けようとしたが、言葉が出なかった。
悪戯っぽい、赤い目にぶつかって。
「まさか。シンジ君の考えすぎだよ」
という言葉にはちっとも説得力が無くて。
そして何より、繋いだ手は離されなかった。
無遠慮に強いわけではないでもしっかりとした拘束を、シンジは解く気になれなかった。
そうして二人は色々な物を買った。
お餅に始まり、おせち料理の材料を一通り買った。
スーパーで買えば時間なんてそうそうかかるものではないが、ここは魚河岸。
店の量が違った。
あっちの店ではどうだろう、こっちの店の方が良い、などと夢中になって買い物をしている内にあっという間に時間は流れ。
「よいしょっと。これで荷物は全部かな?」
終わってみれば結構な量になった荷物をカヲルが後部座席に積み込む頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「うん。ありがとうカヲル先生」
普通に敬語が抜けているのにシンジ自身は全く気づいていない様子。
だけど勿論カヲルはしっかり気づいていて。
かなり嬉しかったけれど、わざわざ指摘して元に戻ってしまうのが怖い。
カヲルは黙っていることにした。
それぞれ運転席と助手席に戻り、カヲルが車を走らせる。
「シンジ君、これからちょっと寄り道しても良い?」
「いいけど何処に行くの?」
「着くまでナイショ」
そうして車を走らせること数十分。
カヲルがシンジを案内したのは、埠頭だった。
普段からここのイルミネーションは美しくテレビでも良く映るが、
今は年末なのもあって更に趣向を凝らしたり、とまた違う美しさだった。
「綺麗…」
思わず眼前のイルミネーションに見入るシンジ。
そのやや後方からシンジのリアクションを見て満足げなカヲル。
「シンジ君が気に入るだろうと思って、連れてきたんだ。どう?気に入ってくれた?」
勿論、と振り返って返事をしようとしたシンジの口の動きが止まった。
否、止まったのはシンジの体の動き全て。
最初に感じたのは周りが寒くないな、という事。
それから視界が黒一色に閉ざされている事を自覚した。
暫くして、その原因がカヲルのコートだと言う事に気がついて漸くシンジは自分がカヲルに抱きしめられていると知った。
「カヲルせんせ!?」
「シッ。あまり大きな声を出しては駄目だよ」
思わず抗議の声を上げかけたシンジにカヲルは静止の声をかける。
(でっ、でも周りに人が)
眺めの良い埠頭がデートスポットにならないわけが無く。
周囲にはちらほらとカップルの姿が見えた。
(大丈夫。暗いからよく見えはしないよ)
(いや、でもほらやっぱり誰かに見られたら)
そんなシンジの懸念の台詞は途中で途切れた。
理由は簡単。唇が塞がれたから。
カヲルの唇によって。
何時の間にやら腰を抱き寄せられ、顎を支えられ。
すっかり逃げ場は無くなっていた。
シンジにとってキスは三回目。
一度目はカヲルに告白された時に。
二度目はその直後。
そして三度目のキスはただひたすらに甘かった。
シンジに現状を忘れさせるほど。
甘さと酸欠でくらくらし始めた頃、やっとシンジは開放された。
と言ってもそれは唇のみの話で、体はまだ抱きしめられたままだったけれど。
「好きだよ」
耳元で囁かれた言葉はまるで毒のようにシンジの体に染み込んだ。
抱きしめられたままシンジは微かに夢かもしれない、なんて考えていた。
その後、カヲルの車でマンションまでシンジは送っていってもらったが、別れ際カヲルは酷く名残惜しそうだった。
「おせち楽しみにしてる」
とカヲルが言うと、シンジは嬉しそうに頷いた。
シンジがマンションに入ったのを見届けて、カヲルも車に乗り込む。
暫く車を動かす事ができない。
この場を去るのが、辛くて。
座席にもたれると、ぽつりと自嘲気味に呟いた。
「参ったな。…もうこんなに好きなんて」
新年早々、御家瀬玲さんから素晴らしいお年玉をいただきマンボ(^^)。おかげさまでニコニコと正月を過ごすことができました。 |
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